事実とは、客観的で確かなこと。
意見とは、主観的で人によって違うもの。
でも世の中では、この2つがごちゃまぜになって語られる場面がとても多いと感じています。
たとえば…
例1:親子の会話
親が子どもに嘘をつかれて、「嘘をつくのは泥棒の始まり!」と怒ったとします。
この場合の
•事実 → 嘘をついた
•意見 → 泥棒の始まり
子どもにとって親は絶対的な存在。だからその「意見」までが「事実」として刷り込まれてしまうのです。
子供は、そんなつもりもないのに決めつけられたようでとてもショックですよね。
私は、「嘘をついたこと」について一緒に考えたり、「どうすればよかったと思う?」と聞くことが大事だと考えます。
例2:ピアノの先生と生徒
先生が「練習しないと上手にならないよ」と言ったとします。
この場合の
•事実 → 練習しなかった
•意見 → 上手にならない
私は、生徒が「練習しなかった」という事実をどう捉えているのか、まずはそこを聞いてみます。
「ピアノを上手くなりたいと思ってる?」
「練習の必要性を感じてる?」
もし「必要ない」と言われたら、「そうなんだ〜⭐︎」と受け止めます。
その子が自分の言葉で、自分の気持ちを語ってくれることが一番大切だからです。
大人も同じ
大人でも、配偶者や上司、なんとなく「強く言ってくる人」の言葉が正しい気がして、モヤっとすることありませんか?
でも、それって実は「ただの意見」だったりするんです。
まとめ:気にするべき事は、事実だけ
人の意見は参考にはなるけれど、
自分が本当に気にするべきなのは、自分にとっての“事実”。
もしモヤッとする事を言われたら、それは事実なのか、意見なのか、考えてみてください。
それが意見なら、
「この人はそういう意見なんだな。私とは違うな」
と、すっと流せると心が軽くなると思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♪
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